数年前、転勤で今の職場に来た。
同じタイミングで、もう一人、別の拠点から来た先輩がいた。
口数が少なく、目つきが鋭い。
話しかけても、返ってくるのは短い言葉だけ。
怒っているのかもしれない。
俺は、嫌われているのかもしれない。
しばらくの間、俺は本気でそう思っていた。
──それが、まるごと俺の勘違いだったと知るのは、もう少し先の話だ。
無口な先輩を、俺は「合わない人」だと決めていた
同じ時期に、同じ職場へ来た二人。
本当なら、一番頼り合える相手だったはずだ。
でも、俺は先輩との距離を測りかねていた。
新しい職場で、俺自身にも余裕がなかった。
慣れない得意先、慣れない人間関係。
そこに、何を考えているのか分からない先輩がいる。
用がある時だけ、必要なことだけを話す。
それ以上は、踏み込まなかった。
営業なのに、こんなに口数が少ない。
きっと、この仕事にそれほど思い入れはないんだろう。
いつの間にか、俺の中で先輩の人物像は出来上がっていた。
人間的に、合わない人。
──その見立てが崩れたのは、ある日の得意先だった。
得意先で見た、別人のような先輩
ある時、先輩と一緒に仕事をすることになった。
得意先へ同行した日のことだ。
部屋に入った途端、先輩はよく話した。
自分たちの商品を通して、得意先に、そしてその先にいる人に、どうなってほしいか。
それを、まっすぐに話していた。
一方的に話すだけじゃない。
得意先の意見をじっくり聞いて、商品のほかの活かし方はないかを、一緒に考えていた。
思い入れがない、なんてとんでもなかった。
誰よりも、熱があった。
帰り道、思い切って話しかけてみた。
先輩は、ちゃんと話してくれた。
普段あまり話さないのは、人に興味がないからじゃない。
心を開ける相手、本音で話せる相手には、ちゃんと自分のことを知ってほしい。
そういう人だった。
無口なのではなく、言葉を大事にしている人だった。
──俺が見ていたのは、先輩のほんの一部だった。
『路傍のフジイ』が教えてくれた「誤解はお互い様」
鍋倉夫の『路傍のフジイ』に、こんな場面がある。
職場で、主人公の藤井は「孤独でつまらない人」だと思われている。
それに憤った後輩の石川さんが、藤井さんは面白い人だ、みんな誤解している、と訴える。
藤井は、怒らない。
むしろ、自分も石川さんがこんなに話す人だとは知らなかった、と返す。
誤解は、お互い様だ。
会社で素を見せないのは、みんな同じだ。
そんな意味の言葉だった。
この場面を読んだ時、あの先輩の顔が浮かんだ。
俺は、先輩が「誤解されるような態度を取っている」と思っていた。
でも、違った。
会社という場所は、もともと人が一部しか見せない場所だ。
俺が見ていたのは、「会社にいる時の先輩」の、さらに一部にすぎなかった。
誤解の原因は、見られる側だけにあるんじゃない。
見る側にも、ある。
──そしてそれは、俺だけの話じゃなかった。
人は、見えている部分で全体を決めてしまう
心理学には、確証バイアスという言葉がある。
一度「こういう人だ」と思うと、それに合う情報ばかりが目に入るようになる。
短い返事は「怒っている」証拠に見える。
鋭い目つきは「嫌われている」証拠に見える。
一度できた人物像は、勝手に補強されていく。
俺の場合は、たまたま一緒に仕事をする機会があった。
だから、誤解を解くことができた。
でも、同じ会社にも、普段あまり話さない人は一定数いる。
接する機会がなければ、誤解は誤解のまま残る。
もしかしたら、俺自身も。
誰かの中で、まったく違う人物として出来上がっているのかもしれない。
──だとしたら、できることは一つしかない。
明日できること──その人の「得意な場所」で、一度だけ話を聞く
印象だけで「合わない」と決めかけている人がいたら。
その人が一番熱を持っていそうな仕事について、一つだけ質問してみる。
雑談じゃなくていい。
その人の得意な場所で、一度だけ話を聞いてみる。
先輩が話し始めたのは、得意先という、先輩の熱がある場所だった。
人は、自分の熱がある場所でなら、言葉を出してくれる。
見えている部分だけで、人を決めない。
決める前に、一度だけ、見えていない部分を見に行く。
それだけで、職場の見え方は少し変わる。
──今では、あの先輩は、俺が本音で話せる数少ない人の一人だ。
同じ夜を戦う、戦友へ
📖 職場の誰かを、少し決めつけてしまっている人へ
『路傍のフジイ』鍋倉夫
職場で目立たない一人の会社員と、彼に触れた周りの人たちの日常を描く物語だ。
このブログ「深夜の読書灯」では、
懸命に生きる父・事業主・サラリーマンが、漫画から学んだ「仕事術」や「生き方」を発信している。
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──今夜もまた、どこかで一つ、読書灯が灯る。


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