平日の夜、10時すぎ。
子どもの寝息を確かめて、
そっと部屋のドアを閉める。
リビングの電気を消して、
書斎の読書灯だけを点ける。
ここからが、一日でたった一つの、俺だけの時間だ。
今日も無事に終わった、という安堵。
一日分の疲労。
明日もまた戦いが始まる、という緊張と不安。
それでも、やってやるぞ、という小さな火。
そんな整理のつかない気持ちのまま、
俺は机の上の漫画に手を伸ばす。
──なぜ40代のサラリーマンが、
深夜に読書灯を点けて、漫画を開くのか。
このブログの名前の由来と、
ここで書いていきたいことを、
今日は話そうと思う。
深夜10時、家の音が消えてから
俺の一日は、だいたいこうだ。
朝から晩まで、会社の看板を背負って営業の最前線を回る。
チームのメンバーたちの相談にも乗る。
帰れば、父親の顔になる。
その合間に、小さな事業も動かしている。
サラリーマンで、父で、事業主。
三つの顔を回していると、
「自分の時間」というものは、
一日のどこにも見当たらない。
唯一の例外が、家族が寝静まった後の深夜だ。
日中は、立ち止まる暇がない。
悔しいことがあっても、理不尽を飲み込んでも、
次の予定が容赦なくやってくる。
だから、感じたことの振り返りは、
ぜんぶ夜に回ってくる。
今日のあの判断は、正しかったのか。
あの一言は、言うべきだったのか。
明日の商談、あの部下、来月の数字。
静かな書斎で、読書灯だけを点けて、
俺はそういうものと一人で向き合っている。
安堵と、疲労と、緊張と、不安と、
それでも「やってやるぞ」という気持ち。
深夜の書斎には、
そういう整理のつかない感情が、全部並んでいる。
──その机の上に、いつも漫画があった。
なぜ、漫画なのか
深夜の机の上に、なぜ漫画があるのか。
酒でもいい。動画でもいい。
一日の終わりの過ごし方なんて、人それぞれだ。
でも俺は、漫画だった。
理由は単純で、
人生の節目節目に、いつも漫画がいたからだ。
子どもの頃は、友情と冒険に胸を熱くした。
学生の頃は、努力や挫折の物語に自分を重ねた。
社会人になってからは、戦う大人たちの背中を追った。
成長のステージが変わるたびに、
読む漫画も、刺さる場面も変わっていった。
でも、いつの時代も変わらないことが一つある。
漫画のあの一場面から、
勇気をもらって、翌日を乗り切ったこと。
登場人物の工夫を、自分の生活で真似してみたこと。
漫画は俺にとって、娯楽であると同時に、
一番身近な「教科書」だった。
そして40代になった今、気づいたことがある。
同じ漫画でも、読む年齢で、まるで別の物語になる。
学生の頃に読み流した一場面が、
管理職の立場で読み返すと、胸に刺さる。
父になってから読むと、また違う場所が痛む。
漫画は変わっていない。
変わったのは、こっちだ。
背負っているものが増えた分だけ、
漫画は深く刺さるようになった。
──だから深夜の書斎で、
俺は今日も漫画を開いている。
役職と責任が増えるほど、弱音を吐く場所は減る
このブログを読みに来てくれた人は、
たぶん、どこかで俺と似た夜を過ごしている。
サラリーマン歴が長くなって、
立場も、任される範囲も大きくなった。
家では、父であり、夫である。
人によっては、自分の事業も背負っている。
そして、気づく。
責任が増えるほど、
弱音を吐ける場所は減っていく。
若手の頃は、先輩に愚痴ればよかった。
同期と飲めば、だいたい回復できた。
でも今は、どうだ。
会社では、弱音より先に判断を求められる。
チームの前で「俺も不安だ」とは、なかなか言えない。
家では、心配をかけたくない。
妻に、子どもに、疲れた顔は見せたくない。
同期と飲んでも、昔ほど本音にはならない。
それぞれ背負っているものが違いすぎて、
軽々しく「つらい」と言えなくなった。
理不尽なことは、今もある。
自分ではどうにもできないことも、山ほどある。
でも、それを吐き出す場所だけが、なくなっていく。
だから、夜なんだ。
家族が寝静まって、
誰にも聞かれない、誰にも見られない時間。
そこでようやく、
飲み込んだものを机の上に並べられる。
深夜の読書灯は、
弱音を吐けない大人の、最後の避難所だ。
──そして俺は、その避難所に
一人でいるわけじゃないと知っている。
この時間、日本のあちこちで、
同じように灯りを点けている誰かがいる。
このブログは、その誰かに向けて書いている。
なぜ、書くことにしたのか
正直に言うと、
誰かに何かを教えたくて始めたわけじゃない。
俺は成功者でもないし、
人生の答えを持っているわけでもない。
今も現場で戦って、迷って、
夜中に一人で反省している側の人間だ。
じゃあ、なぜ書くのか。
会社員を長くやってきて、分かったことがある。
業種が違っても、立場が違っても、
みんな驚くほど同じことで悩んでいる。
会社員でも、公務員でも、自営業でも。
理不尽を飲み込んだ夜。
努力が報われなかった夜。
部下に、家族に、言葉を選びすぎて疲れた夜。
形は違えど、中身はよく似ている。
だったら、俺が深夜の書斎でやっていること──
漫画の一場面に救われて、
なんとか気持ちを立て直して、
「明日もやるか」と灯りを消すこと──
これを言葉にして置いておけば、
どこかの誰かの夜に、届くかもしれない。
教えるためじゃない。
隣に座るためだ。
「その悩み、俺も知ってる」
「あの漫画のあの場面、効くよな」
「お互い、明日もやるか」
そう言い合える相手が一人いるだけで、
夜は少しだけ軽くなる。
このブログが、その一人になれたらいい。
だから発信のスタンスは、最初から決めている。
先生でも、先輩でもなく、戦友。
上から手を差し伸べるんじゃなく、
同じ塹壕の中で、隣に座る。
それがこのブログ「深夜の読書灯」だ。
このブログで書くこと、書かないこと
最後に、このブログの約束を書いておく。
ここで書くこと
漫画の一場面と、俺の実体験を重ねた話だ。
努力と成果の話。
部下に怒れなかった夜の話。
仕事が楽しくなくなった時期の話。
商談で本当の問題を見誤った話。
すでに書いた4本も、ぜんぶそうやって書いた。
これからも、その積み重ねでいく。
たまに漫画じゃなく、小説の言葉を借りる夜もある。
そんな夜も、たまにある。
ここで書かないこと
漫画のあらすじ解説や、名言まとめはやらない。
それをやり始めたら、
このブログの主役が漫画になってしまう。
主役は漫画じゃない。
責任を背負って、今日も折れずに働くあなたと、俺の夜だ。
漫画は、その夜を照らす読書灯。
あくまで灯りであって、主役じゃない。
それから、
「これを読めば人生が変わる」みたいなことも言わない。
漫画を読んだくらいで、人生は変わらない。
明日の会議も、来月の数字も、消えてくれない。
でも、折れずに明日へ向かう力が、
ほんの少しだけ戻ってくることはある。
俺はその「ほんの少し」に、
何度も救われてきた。
このブログで渡したいのは、その「ほんの少し」だ。
今夜も、どこかで灯りが点く
平日の夜10時。
家の音が消えて、読書灯が点く。
安堵と疲労と、明日への緊張と、
それでも「やってやるぞ」という小さな火。
その全部を机に並べて、漫画を開く。
もしあなたにも、そんな夜があるなら、
このブログはあなたのための場所だ。
ゆっくりしていってほしい。
気が向いたら、過去の記事も覗いてみてほしい。
そして帰り際に、心の中でいい。
「お互い、明日もやるか」と言ってくれたら、
それがこのブログの一番の報酬だ。
同じ夜を過ごす戦友がいるなら、Xでも繋がりたい。
──今夜もまた、どこかで一つ、読書灯が灯る。


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