「後でやろう」が、1年になった──『黒子のバスケ』に教わった、次ではなく今という言葉

深夜の机に置かれた読書灯と単行本と開いたノートと万年筆 静の処方箋

ブログを書こうと決めてから、最初の一本を出すまで、1年かかった。

書く時間がなかったわけじゃない。
「後でやろう」と言い続けていただけだ。

今夜はその1年の話を書こうと思う。

「後でやろう」が、1年になった

ブログを書きたいと思ったのは、1年以上前のことだ。

ただ、その頃の俺は、事業で受けていた別の仕事に追われていた。
目の前の締め切りを片付けるだけで、夜が終わる。

ブログは、後でいい。
落ち着いたら始めよう。

そう思っていた。

落ち着く日は、来なかった。
一つ片付けば、次の仕事が来る。
「後で」は、毎週少しずつ先へ延びていった。

気づけば、1年が過ぎていた。

一行も書いていなかった。

──その1年、俺は何に時間を使っていたのか。

やりたいことと、違うと気づいた

1年間、目の前の仕事を続けた。

手を抜いたつもりはない。
それでも、ある時ふと思った。

これは、俺がやりたかったことなのか。

本業は、生活を支える仕事だ。
好き嫌いだけで選べるものじゃない。

でも、事業は違う。
自分で選んで始めたはずのものだった。

その事業でまで、やりたくないことを惰性で続けている。
このまま、ダラダラと。

せめて事業くらいは、自分の好きなことに時間を使おう。

そう決めて、少しずつ時間を作った。
一気に変えたわけじゃない。
空いた隙間に、少しずつブログを差し込んでいった。

──そのとき思い出したのが、ある漫画の言葉だった。

「次」ではなく、「今」

『黒子のバスケ』に、こんな意味の言葉がある。

次に勝つんじゃない。
今、勝つんだ。

次があると思った瞬間に、「今」の気持ちが切れる。
そういう話だと、俺は受け取っている。

俺の「後でやろう」は、この「次」と同じだった。

後でやる。
次は書く。
落ち着いたら始める。

どれも、今やらない理由として、同じ働きをしていた。

「次」がある限り、「今」は来ない。
1年かけて、俺はそれを確かめただけだった。

──では、書かなかった1年で、俺は何を失っていたのか。

書かなかった1年に、失ったもの

今、ブログを書いていて思うことがある。

1年早く始めていたら、もっと多くの人に読んでもらえたかもしれない。
同じ夜を過ごしている誰かの、小さな励ましになれたかもしれない。
誰かの背中を、少しだけ押せたかもしれない。

それに、俺自身もそうだ。

書かなかった1年と、書いた1年。
同じ1年でも、たぶん中身が違った。
書く中で気づいたことや、考えたことが、もう1年分あったはずだ。
事業も、もう少し楽しくやれていた気がする。

時間は、後から取り戻せない。
「後で」に回した1年は、どこにも積み上がっていなかった。

──それでも、今日から始めた1年は、ちゃんと積み上がる。

明日、ひとつだけ

「後でやろう」と思っていることを、ひとつ選ぶ。
それに、今日のうちに10分だけ手をつける。

完成させなくていい。
最初の一行、最初の一歩でいい。

「後で」を「今日の10分」に変えるだけで、
次の1年の中身が変わる。

始めた後にも、「後で」はまた顔を出す。
疲れた夜に書けなかった話は、以前の記事に書いた。

やりたいことに、ちょうどいい時期は来ない。
来るのは、始めた日だけだ。
と、俺は思っている。

──今夜もまた、「後で」と言いかけた手で、一行目を書く。

同じ夜を戦う、戦友へ

もし今夜、「後でやろう」と何かを先送りしたあなたへ。
2冊、置いていきたい。

📖 「次」ではなく「今」に懸けたい人へ
『黒子のバスケ』藤巻忠俊

バスケットボールに打ち込む高校生たちの物語だ。
一つひとつの試合に全力で向き合う姿が、読む側の背中を押してくる。

📚 やりたいことを、小さく始めたい人へ
『小さな習慣』スティーヴン・ガイズ

目標をあえてとても小さくして、毎日続けることをすすめる本だ。
始めるハードルを下げたい人の、最初の一冊になるかもしれない。

このブログ「深夜の読書灯」では、
懸命に生きる父・事業主・サラリーマンが、漫画から学んだ「仕事術」や「生き方」を発信している。

同じ夜を過ごす戦友がいるなら、Xでも繋がりたい。

@shinyadokushoto

──今夜もまた、どこかで一つ、読書灯が灯る。

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