「手伝おうか」と言った夜、俺はまだ父親になっていなかった──『ミステリと言う勿れ』に学ぶ責任と当事者意識

深夜の机に置かれた読書灯と漫画の単行本と小さな哺乳瓶 父としての背中

子どもが生まれて、しばらく経った頃。
俺は家族に、こう言ったことがある。

「何か手伝おうか」

気を遣ったつもりだった。
優しさのつもりだった。

でもその言葉が、どれだけ他人事だったか。
気づかせてくれたのは、ある漫画の一言だった。

「手伝おうか」は、優しさのつもりだった

正直に書く。
怖かった。

主体的に育児をするのが、怖かった。

泣き止まない理由が分からない。
何が正解なのかも分からない。
自分が判断して、もし間違えたら。

だから俺は、一歩引いた場所に立っていた。
言われたらやる。頼まれたら動く。
それが、当時の俺の立ち位置だった。

「手伝う」という言葉は、
その立ち位置を、そのまま口にしたものだった。

──でも、怖かったのは俺だけじゃなかった。

怖かったのは、俺だけじゃなかった

妻もまた、不安の中で育児をしていた。

初めてでも、2回目以降でも、子育てに正解なんてない。
マニュアルがあるわけでも、誰かが答えを教えてくれるわけでもない。

それでも毎日、目の前の小さな命と向き合っていた。

俺が「間違えたくない」と一歩引いている間、
妻は間違えるかもしれない怖さを抱えたまま、前に立っていた。

同じように、手探りだった。
同じように、怖かったはずだ。

違ったのは、立っている場所だけ。

──その差を、たった一言で突きつけられた。

整の一言が、俺の立ち位置を暴いた

田村由美の『ミステリと言う勿れ』に、こんな場面がある。

子どもが生まれてから妻が変わってしまった、とこぼす刑事。
主人公の久能整は、変わるのは当たり前だと返す。
そして、問題は別のところにあると続ける。

「あなたが一緒に変わってない」
(田村由美『ミステリと言う勿れ』)

刺さった。
これは、漫画の中の刑事の話じゃない。
俺の話だった。

子どもが生まれて、妻は変わった。
変わらざるを得なかった。

じゃあ、俺は。

働き方も、家の中での立ち位置も、ほとんど変わっていなかった。
「手伝う」と言える距離にいたこと自体が、
変わっていない証拠だった。

──そう気づいてから、別の場所でも同じものが見えるようになった。

当事者意識は、家の中だけの話じゃなかった

家事でも、同じだった。

頼まれたゴミ出し。
言われた買い物。
やってはいる。
でも、担ってはいなかった。

仕事でも、同じだった。

誰かが決めたことを、言われた範囲でこなす。
自分の担当じゃなければ、どこか他人事。
後輩が困っていても、出てくる言葉は「手伝おうか」。

場所が違うだけで、
俺はずっと、同じ距離に立っていた。

当事者意識とは、正解を知っていることじゃない。
正解がない場所に、自分も立つと決めること。

妻が、毎日そうしていたように。

──じゃあ、明日から何を変えるか。

明日、「手伝う」を一つ手放す

やることは一つだけ。

「手伝おうか」と言いそうになったら、
「これ、俺がやる」に言い換える。

家でも、職場でも。

たった一言の違い。
でも、言い換えた瞬間に、立つ場所が変わる。

頼まれる側から、引き受ける側へ。
見ている側から、背負う側へ。

正解が分からなくても、怖くてもいい。
怖いのは、隣にいる誰かも同じだから。

一緒に怖がりながら、一緒に変わっていく。
それができた時、初めて「手伝う」という言葉がいらなくなる。

──今夜はまだ、うまく言えないかもしれない。それでも明日、一回だけ。

まとめ:一緒に変わるということ

子どもが生まれて、変わるのは当たり前。
問題は、隣で変わっていない自分の方だった。

怖かったのは、俺だけじゃない。
正解がないのは、誰にとっても同じ。

だから、一歩引くのをやめる。
「手伝う」ではなく、「俺がやる」。

──その一言から、父親としての、そしてチームの一員としての立ち位置が変わり始める。


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──今夜もまた、どこかで一つ、読書灯が灯る。

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