子どもが生まれて、しばらく経った頃。
俺は家族に、こう言ったことがある。
「何か手伝おうか」
気を遣ったつもりだった。
優しさのつもりだった。
でもその言葉が、どれだけ他人事だったか。
気づかせてくれたのは、ある漫画の一言だった。
「手伝おうか」は、優しさのつもりだった
正直に書く。
怖かった。
主体的に育児をするのが、怖かった。
泣き止まない理由が分からない。
何が正解なのかも分からない。
自分が判断して、もし間違えたら。
だから俺は、一歩引いた場所に立っていた。
言われたらやる。頼まれたら動く。
それが、当時の俺の立ち位置だった。
「手伝う」という言葉は、
その立ち位置を、そのまま口にしたものだった。
──でも、怖かったのは俺だけじゃなかった。
怖かったのは、俺だけじゃなかった
妻もまた、不安の中で育児をしていた。
初めてでも、2回目以降でも、子育てに正解なんてない。
マニュアルがあるわけでも、誰かが答えを教えてくれるわけでもない。
それでも毎日、目の前の小さな命と向き合っていた。
俺が「間違えたくない」と一歩引いている間、
妻は間違えるかもしれない怖さを抱えたまま、前に立っていた。
同じように、手探りだった。
同じように、怖かったはずだ。
違ったのは、立っている場所だけ。
──その差を、たった一言で突きつけられた。
整の一言が、俺の立ち位置を暴いた
田村由美の『ミステリと言う勿れ』に、こんな場面がある。
子どもが生まれてから妻が変わってしまった、とこぼす刑事。
主人公の久能整は、変わるのは当たり前だと返す。
そして、問題は別のところにあると続ける。
「あなたが一緒に変わってない」
(田村由美『ミステリと言う勿れ』)
刺さった。
これは、漫画の中の刑事の話じゃない。
俺の話だった。
子どもが生まれて、妻は変わった。
変わらざるを得なかった。
じゃあ、俺は。
働き方も、家の中での立ち位置も、ほとんど変わっていなかった。
「手伝う」と言える距離にいたこと自体が、
変わっていない証拠だった。
──そう気づいてから、別の場所でも同じものが見えるようになった。
当事者意識は、家の中だけの話じゃなかった
家事でも、同じだった。
頼まれたゴミ出し。
言われた買い物。
やってはいる。
でも、担ってはいなかった。
仕事でも、同じだった。
誰かが決めたことを、言われた範囲でこなす。
自分の担当じゃなければ、どこか他人事。
後輩が困っていても、出てくる言葉は「手伝おうか」。
場所が違うだけで、
俺はずっと、同じ距離に立っていた。
当事者意識とは、正解を知っていることじゃない。
正解がない場所に、自分も立つと決めること。
妻が、毎日そうしていたように。
──じゃあ、明日から何を変えるか。
明日、「手伝う」を一つ手放す
やることは一つだけ。
「手伝おうか」と言いそうになったら、
「これ、俺がやる」に言い換える。
家でも、職場でも。
たった一言の違い。
でも、言い換えた瞬間に、立つ場所が変わる。
頼まれる側から、引き受ける側へ。
見ている側から、背負う側へ。
正解が分からなくても、怖くてもいい。
怖いのは、隣にいる誰かも同じだから。
一緒に怖がりながら、一緒に変わっていく。
それができた時、初めて「手伝う」という言葉がいらなくなる。
──今夜はまだ、うまく言えないかもしれない。それでも明日、一回だけ。
まとめ:一緒に変わるということ
子どもが生まれて、変わるのは当たり前。
問題は、隣で変わっていない自分の方だった。
怖かったのは、俺だけじゃない。
正解がないのは、誰にとっても同じ。
だから、一歩引くのをやめる。
「手伝う」ではなく、「俺がやる」。
──その一言から、父親としての、そしてチームの一員としての立ち位置が変わり始める。
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