子どもが、友達と小さな喧嘩をした。
理由を聞けば、本当に些細なことだった。
昔の俺なら、「仲良くしなさい」で終わらせていたと思う。
──でも今は、その小さな喧嘩を、少しだけ大事にしている。
正しい話を渡せば、正しく育つと思っていた
テレビや本で、子育ての事例をよく目にする。
こういう時は、こう声をかける。
こういう子には、こう接する。
それを家で共有して、子どもに伝えれば、正しく育つ。
そう思っていた。
家の中で、親が正しいことを教える。
それで十分だと、どこかで信じていた。
──でも、子どもが一番学んでいたのは、家の外だった。
小さな喧嘩が、一番の教材だった
友達同士で遊んでいると、子どもは多くのことを学んでくる。
親のしつけや、家の中の子育てだけでは届かないことだ。
些細な喧嘩をした日は、話し合う機会になる。
どちらが、どう悪かったのか。
自分は、どう言えば、どう動けば、ぶつからずに済んだのか。
答えを渡すのではなく、一緒に振り返る。
相手がいて、初めて学べることがある。
それは、どんなに良い事例を聞かせても、代わりにはならなかった。
──そのとき、ある漫画の言葉を思い出した。
11人ではなく、22人
大武ユキの『フットボールネーション』に、こんな意味の言葉がある。
サッカーは、自分たちの11人でやるものではない。
相手を含めた22人、審判も入れれば25人でやるスポーツだ。
前に、この言葉を仕事の話として書いた。
自分のチームだけで、商談をしていた──『フットボールネーション』に教わった、22人で試合をつくるという考え方
取引先の先にいるお客さんまで見る、という話だ。
子育ても、同じだった。
家族という11人だけで、子どもを育てているんじゃない。
友達がいて、その親がいて、周りの大人がいる。
子どもは、その22人のピッチで育っている。
──そして、そのピッチには、俺も立っている。
俺も、よその子のピッチにいる
よその子に非があると思えば、その点を優しく伝える。
叱るのではなく、教える。
自分の子にするのと、同じように。
逆に、自分の子が、よその親に教えられることもあるはずだ。
それでいいと思っている。
自分の子だけを見ていた頃は、こういう関わり方を考えたこともなかった。
──気づけば、学んでいたのは子どもだけじゃなかった。
教えられていたのは、俺の方だった
子どもの喧嘩を一緒に振り返るたびに、俺も考える。
言い方ひとつで、相手の受け取り方は変わる。
どちらか一方だけが悪い、ということは、案外少ない。
会社で、こんなに素直に振り返る機会はあまりない。
大人同士の付き合いでは、ぶつかる前に避けてしまうことも多い。
子どもたちのピッチは、大人の俺にも、まだ学ぶことがあると教えてくれる。
親も、子どもから多くのことを学んでいる。
それは、会社や大人同士の付き合いでは得られないものだ。
──22人のピッチに立っているのは、子どもだけじゃない。
明日、ひとつだけ
子どもが友達との出来事を話してくれたら、
すぐに答えを言わず、一つだけ聞いてみる。
「どうすれば、ぶつからずに済んだと思う?」
正解を渡すより、一緒に考える方が、子どもの中に残る。
──今夜もまた、子どもが話してくれたことを一つ思い出してから、読書灯を落とす。
同じ夜を戦う、戦友へ
📖 子育てを、家族だけで背負っている人へ
『フットボールネーション』大武ユキ
サッカーの常識を、体の使い方から捉え直していく物語だ。
このブログ「深夜の読書灯」では、
懸命に生きる父・事業主・サラリーマンが、漫画から学んだ「仕事術」や「生き方」を発信している。
同じ夜を過ごす戦友がいるなら、Xでも繋がりたい。
──今夜もまた、どこかで一つ、読書灯が灯る。

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